RUDE MAGAZINE
Rude Dialogue〈後編〉
今年で25周年となるRUDE GALLERY。Spring & Summer 2025 “QUE SERA SERA” の撮影後、1冊目のルックブック(2002年)の写真を手掛けたフォトグラファーのアミタマリ氏をルード事務所へお招きし、片柳との対談というかたちでこの25年の話をお聞きしました。こちらは後編です。
前編は こちら
荒削りだけど、勢いがある、無知の強さ
片柳 (2002年当時のルックブックを見ながら)この間の空け方とか……憧れてつくってる感じが出てるよね(笑)。やりたいこと全部詰め込んだ、そんな感じがかっこよかったんだよね。
アミタ ファースト(テイク)のかっこよさってありますよね。すごく荒削りだけど、勢いがあって。無知の強さ、っていうかね。
片柳 そう、これを作ったことによって認知されていった。当時は、ウェブもまだみんな始めるか、始めないか、みたいな状況で。雑誌はあるけど、雑誌は流れていくし……。これでしか伝わらないじゃん。「RUDE GALLERYはこういうものです」っていう名刺がちゃんとできたのはこれだったね。あ、こういうの作るのね!みたいな。グッズじゃなくて、ちゃんと洋服作るのね、君たちは、みたいな。
——その頃、おいくつくらいでしたか?
片柳 31歳くらいかな。次の年には赤坂BLITZで “THE RUDE SHOW” ってイベントしているからね。衣装も含めて、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT(※以降、TMGE)にお願いしに行ったなー。
アミタ あ、私が撮ったやつ? 懐かしいな、赤坂BLITZ!
片柳 生意気だよね(笑)、その熱量すごいと思う! その時にどんどん人を集めて、やろうぜやろうぜ!って。チバさんたちもそれに賛同してくれたっていうのは、絶対これ(ルックブック)があったからだと思うんだよね。こういうのをやりたいんですよ!というのがわかるじゃん。プリントTシャツ出してますじゃなくて、ブランドの方向性っていうかさ。
アミタ ね! だってチバさん、これ(ルックブック)を見て、私にTMGEのアー写を頼んできたんだもん。何でだろうと思って聞いてみたら……「なんか背の高い奴が撮ってる写真で良かった」って(笑)。
チバさんのこと
片柳 この世代はチバさんという存在が大きいよね。頭一個上の先輩がチバさんなんだよね。尊敬というかロック・スターというか。そういう人と一緒に仕事できたことがよかった。チバさんがいることで、そういう繋がりがずっと続いてたってのもある。RUDEの20周年本『RUDE GALLERY MAGAZINE』のときも、チバさんにモデルで出てもらって、それが最後のファッションとの写真になっちゃったけどね、それを残してくれた。これがまたいい笑顔の写真なんだよ。
で、今年TMGEは結成30周年に向けて、1年かけてレコードとかいろいろ出すんだけど、そのアー写を撮ってるのもアミタだもんね。
アミタ そう、TMGEの最後のアー写が私だった。
——TMGEのアルバム・アートワーク、あの世界観はカッコいいですよね。
アミタ 断トツでカッコよかった!
片柳 外国っぽかったよね。あの時は決まったデザイナーさんがいたのかな?
アミタ アート・ディレクターの人がいて、でも、チバさんがイメージを伝えてることが多かったんじゃないかな? 自分のイメージする世界感。映画もめちゃくちゃ好きだったし、レコードジャケットもそう。デザイナーの人が提案することもあるけど、こんな感じがいいんだよね、みたいにチバさんのイメージがあったかなあ。
片柳 明確なイメージが浮かんでる。
アミタ 浮かんでる。だからそれをデザイナーの方とかたちにしていく。写真にしても、こういうのがいい!みたいなのが多かった。だから野村さんのこともすごい信頼してたし。
片柳 今回の撮影でも、チバさんが降りてきた感じがする。何かね、この背中のやつが、チバさんっぽいんだよね。このタバコの持ち方とか、吸っている人の持ち方。
アミタ ルード・ボーイって感じがめちゃくちゃある。何気ない感じとかも。
片柳 チバさんが、俺、俺!って出てきた感じがするんだよね。
未来の話
片柳 25年っていうのは、海外では10年単位とかではなく、クオーター、25年が大きい区切りなんだってね、四半世紀。
アミタ 確かに、25年っていう方がグッくる感じあるよね。25年で何かやろうかな。
片柳 いろいろあったね。そう、25年というのはひとつの世界基準だから、次は50周年かな(笑)。
アミタ 50年(苦笑)。
片柳 80歳前か……ギリ生きてきてるかもね。2050年だよ(苦笑)。
アミタ ヤバ(笑)。私も25周年で何かやろうかな。
片柳 いつ?
アミタ あれ来年!? ヤバい……(苦笑)。
——作品集などの制作も考えているのですか?
アミタ 作品はまた作りたいとは思ってるんだけど、もっと時間がかかりますね。ポートレートまとめて写真展もやりたいなっていうのもあるし。この前、照井(利幸)さん(The DOJIN, ex. BLANKEY JET CITY, ex. ROSSO)に「写真を撮ってる?」って聞かれて。「いやあ、日々が忙しくて……なかなか撮れてなくて……」とか言ってたら、「え、じゃあそれ、そのまま撮ればいいじゃん」って。グサーーって(笑)。日常をそのまま撮るんじゃだめなの?みたいな。
片柳 そういう目線でいるよね。照井さんはいつもね。俺も、「渾身の1着を作れ」って言われて。何着も作らなくていいんだよって、よく言われる。
アミタ 本当にいつも試されてる感じ。私がここまでしかできないっていうことの、さらに上のものを投げてくる。
片柳 そういう先輩、ありがたいよね。
アミタ あとは、5月にまた “15PHOTOGRAPHERS展”(詳細は下記へ)をやるので来てください。15名のフォトグラファーで、1人1作品フォトTシャツを作る、グループ展。
撮られてみてわかること。
——最後に撮影の話に戻りますが、モデルの経験を経てフォトグラファーになったことで、撮る側として意識されことはあるのでしょうか?
アミタ 最初は(撮られる側を)気にし過ぎて邪魔だった。今はあまり気にならなくなったけど……自分が撮る側になって、撮られる側の気持ちも知っているというのは大事なことかな。写真撮る人って、自分が撮られるのは苦手な人が多いと思うんだよね、きっと。撮られてみれば分かることもあると思う。私もたまに被写体側にまわると、気づくことがたくさんあるわけ。やはり撮られていて心地いい、心地悪いってあるじゃないですか。
——撮られ慣れているからこそ。
アミタ だから、撮られた人が気持ちいいかんじで帰ってもらいたいなっていうのは思ってる。だって、撮られてて嫌な思いとか……嫌じゃないですか。私は絶対こういう風にはしないようにしようとか、自分の苦い思い出は憶えてるし。でも、それよりも魅力的な人……あの人の撮影、本当格好良かったな!とか、そういうのをたくさん、いろんな人に撮ってもらったのはすごく貴重な経験だったし、フォトグラファーって、その現場の中でリーダー的というか、その人の現場に入れてる!みたいな空気感があって。だから自分が撮影する人に、今日の撮影は最高に気持ちよかったなとか、嬉しかったなって感じで帰ってほしいな。それが、撮られることを経験して感じること。
アミタマリ/Mari Amita
1973年生まれ、山口県出身。専修大学文学部卒。モデルを経て写真家・野村浩司氏に師事、2001年に独立。2003年・宝島社の新聞広告で朝日広告賞グランプリを受賞。数多くのミュージシャンのCDジャケットやポートレートを手掛けるほか、広告、カルチャー、ファッションを中心に活躍中。
Website: amitamari.com
Instagram: @mari_amita
『15 PHOTOGRAPHERS EXHIBITION SEASON Ⅲ』
2025/05/09 Fri – 2025/05/18 Sun ※会期中無休、入場無料
会場:AL Gallery 東京都渋谷区恵比寿南3-7-17 KIKI Bldg.1F
tel:03-5722-9799
AL Gallery Website: https://al-tokyo.jp/

